「髪が伸びてきたから、切ろうと思うの」

優子はそう言って、自分の艶やかな黒髪を摘んだ。

確かに、言うだけあって彼女の髪はかなりの長さとなっている。

あれだ、ほら。

月から来た某美少女戦士くらいの長さはある。

優子の髪は美しく、私のボサボサなそれとは大違いだ。

一体、どんな技術を用いれば、彼女のように艶やかで美しい髪になるのかと、ずっと以前に聞いたことがある。

「あんたは、手入れをしなさすぎなのよ」

洗髪後は自然乾燥、ろくに櫛を入れることもない私に向かって、優子はげらげらと笑いながら言った。



髪の毛  〜彼女の秘密〜



「いやいやいや、やめた方が良いって。ほら、ないよりある方が良いじゃん!?」

がしゃがしゃとグラスに入った氷をかき混ぜながら言う。

どうでも良いが、氷入れすぎだろこのカフェオレ。

絶対、氷でかさ増しを謀ってやがる。

「何慌ててんの?中身、飛び散ってるよ」

紙ナプキンを取り出し、テーブルを拭きながら優子は笑った。

「あんたって、昔から私の髪の毛のこと気に入ってるみたいだもんね」

確かに、私は彼女の日本人形のような黒い直毛が大好きだ。

自分で言うのも何だが、私は髪フェチだ。

 風に揺れてさらさらとなびく黒髪を見ると、胸が熱くなる。

 恐らく、宙を舞う髪の毛を名残惜しげに見る私は、傍目に怪しいだろう。


 しかし、私が彼女の髪の伐採を止める理由は、それだけではない。

私は、彼女の髪の美しさの秘密を知っているのだから、反対しないわけにはいかないのだ。

ほら、今もああやって、こちらを見ている。

白いテーブルを挟んで向かい合って座る優子の肩、そこに垂れる黒髪の影から、小さな生き物が救いを求めるようにしている。

私が初めて彼を目撃したのは、優子が初めて私の家に泊まりにきた時だ。

すーすーと、可愛らしい寝息を立てはじめた彼女を尻目に、ゲームに熱中していた私が、不意に彼女を見やった時、それは起こった。

2センチほどの大きさの彼ら(私が今まで確認した限り、5匹)は、せこせこと何やら不気味な色合いの液体を、優子の髪に塗りたくっていたのだ。

その液体の不気味な色加減と言えば、さながら絵本に出てくる魔女がかき混ぜている鍋の中身のようだった。

彼らは最初、私の存在にまったく気が付いていなかったようだが、驚いてコントローラーを落としたその音を聞きつけ、やっと私という存在を確認した。

どうやら彼らには言葉という概念はないようで、手を伸ばした私を、おどおどと逃げ回りながらかわしはしたが、悲鳴を上げるようなことはなかった。

白い、ミジンコのようなそれは、見ているとなんだか和む存在で、私は近くに置いていたデジカメで、それを記念に撮影したが、大変残念ながら、彼らが写真に写ることも、データに残ることもなかった。

本当に残念だ。

世界の珍獣を発見した人間として、賞金の一つでももらえたかもしれないのに。

ああ、残念だ!!

その後、彼らと私は、何度か顔を合わす機会もあり、次第に打ち解けていった。

最初はどぎまぎと、明らかに私を気にしながら作業をしていた彼らだったが、優子の宿泊回数が片手で足りなくなった頃から、

彼らは私の存在を気にしなくなった。彼らの作業中、私がトイレに立とうが、グラスをひっくり返して大騒ぎしようが、彼らは全く動じなかった。

動じない彼らも凄いが、目を覚まさない優子も凄い。

もしかすると、彼らは私に友情でも感じてくれているのかもしれない。

野良猫の手なずけに成功した時に感じるあの“してやったり感”と同じ気持ちがした。

世界を征服した時も、きっとこれと同じような気分になるに違いない。

トップに立った優越感ってやつ?

「絶対に止めた方が良いって!!切ったら後悔するよ」

「……う〜ん。そう言われて否定はできないんだけどなぁ」

悩みだした。

もう一押し!!

白いミジンコが、そう言った気がした。

「でしょ!?それに、長い方がいざという時敵から身を護ってくれるかもしれないじゃない!?」

ばっさばっさと、黒子風の男を攻撃する艶やかな髪を想像してみた。

惚れ惚れするね!!

「敵って、アンタねぇ・・・・・・」

 どういう状況下を想像してるのよ。

 言いながら、優子も笑った。

「でもやっぱ切るよ。ほら、もうすぐ梅雨だし」

手入れが大変なのよ、湿気が多くなると。

言いながら、優子は氷が解けて薄くなったアイスティーをすすった。

「それに、あんたも知ってるでしょう?」

私、一度やるって決めたことは、世界が崩壊しても止めないの。

最高の笑顔を浮かべて、優子は言った。

私が男だったら、イチコロだ。

 そして、残念ながらこういう得意げな表情をした優子を止めることは、誰にもできはしないのだ。

 伊達に長い付き合いをしているわけではない。

「そっか。まあ、優子だったら、どんな髪型でも似合うよ」

「知ってる。だって、私美人だもの」

この性格さえどうにかなれば、是非とも付き合いたいとも思うだろう。

ちらりと、優子の肩口を見やる。

白くて小さな生き物が、必死な形相でこちらを見ている。

残念ながら、最早私にはどうしてやることもできない。

悪く思うなよ。

「あんたは、切らないの?その長さだと夏場とか厳しいでしょ?」

ストローで、どうにか肩まで届く長さの私の髪を指した。

垂れてる、垂れてる。

「あ〜……私は良いや。これ以上、性別を疑われたくないもの」

私は、生物学上女であるが、よく男に間違えられた。

そりゃあ、襟足が見えるくらい短い髪にしていた私も悪いだろうが。

だからと言って、スカートを履いた人間の、女子トイレ入室を不審がらないでもらいたい。

これでも傷付き易い性格なのだ。

ガラスのハートってやつだ。

「あんたって、顔立ちも可愛いのに、どうしてだかモテないしね!!」

けたけたと笑いながら言った。

優子の動きの反動で、白いテーブルが揺れる。

その言葉、そっくり貴女にお返ししますよ優子さん。

大声で話をする私たちを、迷惑そうに他の客たちが見ていた。

別に気にしないから良いけど。

翌朝、目覚めるとボサボサだった髪の毛がてらてらしていた。

櫛など、ここ2・3日通した覚えもないのに、妙に指どおりが良い。

嫌な予感がして急いで洗面所へ向かった。

生憎と私の部屋に、鏡などというオシャレなアイテムはなかったもので。

真っ直ぐで綺麗な黒髪の合間から、白い生き物が、こちらを見ていた。

可愛いと思っていた生き物が、何だか不気味な得体の知れないモノに思えた。

ちゃんと、優子の髪には転居届けを置いて来たのだろうな!?



(2006.5.27 桜葉吉野)

初出:小説投稿HP BlueCampus投稿

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