「今から星を採りに行くから、急いで支度をしなさい」

 夜中の1時に叩き起こされたオレは、一瞬、日本語が理解できなかった。



昏宙採集



 ひょっとしなくとも、彼女は寝惚けているのだろうか。

「・・・・・・寝言は寝て言えよ」

 短く言って、開け広げられた襖を閉じ・・・・・・られなかった。

 彼女が、寸でのところで足をかけたからだ。

「・・・・・・何するんだ」

 隙あらば閉じようとする瞼を懸命な努力で開き、頭一つ分小さな彼女を見やる。

 暗がりでよく確認できないが、どうやら彼女はすでに寝巻き姿ではないようだ。

それどころか、肩からは虫かごをぶら下げ、右手には虫取り網を持っている。

 こんな夜更けに、昆虫採集にでも行くつもりだろうか。

「さっさと支度をしなさいって言ってるでしょう? ほら早く! 星は待っちゃくれないのよ?」

 オレの言葉など、一切聞いてない様子で、彼女は興奮気味に言った。



「もう一度聞くけど、何を採りに行くんだって?」

 未だ本調子でない頭をフルに回転させながら、もう一度彼女に問う。

 もしかしたら、先ほど言っていた言葉は、オレの聞き違いだったのかもしれない。

 そういう微かな願いを込めて。

「だから、さっきから言ってるでしょう? 星を採りに行くんだって」

 やはり聞き違いなどではなかったようだ。

 彼女は、時折こういうよく解らない行動をする。

 オレと彼女は従兄妹という間柄で、幼い頃より頻繁に行動を共にしてきたが、昔から彼女の感性は逸脱していた。

 節分には町内を練り歩いて鬼を捜し、サンタを捕まえるのだと言って、家中の出入り口に罠を仕掛け、一晩中眠らずに現場を張ったこともあった。

 蟻の好物を研究するのだと行って、庭に大量の食べ物を蒔き、川に生息する魚の種類を調べると行って、夏休み中魚釣りをしていたこともある。

 そして、その行動の尻拭いをさせられるのは常にオレの役割で、要領の良い彼女は、いつでも自分の欲望に忠実に生きているだけなのだ。

 羨ましいけれど、はっきり言って本来ならば係わり合いになりたくない種類の人間だと思う。

 それでも、オレは彼女の言うとおりに動き、彼女と行動を共にしている。

 理由なんて単純なものだ。


「篤士!? なにしてるの急いで!!」

 呼ばれてふと見れば、彼女はすでにオレよりもずっと前にいて、眉間に皺を寄せてこちらを見ている。

 夜中にそんな大声を出したら、近所迷惑だから止めなさい。

 そいえば言い忘れていたが、篤士というのはオレの名前だ。

「おい、何処まで行くつもりだ? もう随分と歩いたぞ」

 家を出発して、もう1時間以上経過しているだろう。

 いい加減に疲れてきたし、何より段々と道が草むらになってきて、ジワジワと鳴く虫の声や蚊が鬱陶しくて堪らない。

 一体、彼女は何処へ行こうというのか・・・・・・。

「おい、もういい加減に引き返そう。もしも、母さんたちに気付かれたら面倒だし」

「大丈夫よ、その時はわたしが上手く誤魔化してあげるから!!」

 振り向きもしないで、自信満々な風に言ってのける。

 よく言うよ。毎回毎回、言い訳するオレをそっちのけで、自分は何処かへ身を隠してしまうくせに。

「どうせ、今回だってそうに決まって・・・・・・うおっ!!」

 ぶちぶちと愚痴りながら歩いていたら、草に足を取られた。

 もしや、文句を言っていたことで、彼女に呪いでも受けたのやも知れない。

まったくついてない。睡眠時間は削られ、こんな訳の解らない場所まで競歩させられ・・・・・・。

「ほら!! “星”よ、篤士!!」

 前方から、彼女の興奮気味な声が響く。

 草むらに身を預けたままの格好で見やれば、空には満天の星が輝いている。高層ビル群のネオンなど、一つも見えない。

 純粋な星の光りだった。

 そして。

「・・・・・・蛍?」

 草むらをくるくると回りながら網を振り回す彼女の周りに、無数の光虫がいた。

こんな街中で、珍しい。

 蛍なんて、今は田舎でもそうそう見れるものではないと聞いているのに。

「ね? 凄いでしょう?」

私が一人で見つけたのよ。

一頻り網を振り回し、虫かごを光虫でいっぱいにした彼女が、未だに寝そべった状態のオレを見下ろす。

 呆けた顔をしている俺を見ながら、得意げに彼女は笑った。


 オレは、ただ彼女の笑顔が好きだった。

彼女の笑顔が見たくて、オレは彼女の言うとおりに動き、行動を共にする。

自分で言うのもなんだが、実に単純な理由だ。

少し生暖かい風が吹き抜け、彼女の髪と、光虫の舞う草原を揺らす。

「綺麗だったから、篤士と一緒に見たいなって思ったの」

 だから、今日誘ったのよ?

 大きな瞳を細め、とても嬉しそうに、彼女は笑った。



空に輝く星よりも、空を舞う光虫よりも、ずっとずっと綺麗に笑った。



(2006.5.30 桜葉吉野)

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