「あ、流れ星だ!!」
「え? どこ?」
それはある夏の日のこと。
僕は、まだ幼い妹の手を引いて、夜の散歩に出かけた。
願 い 星
「ほら、あっちのお空に流れて行ったよ」
フェンスにしがみつく様にして乗り出し、東の空を必死に指差す。
慌ててそちらに目をやるが、時既に遅し。
彼女の瞳が捉えた星は、既に彼方へと流れ去った後だ。
「なんだ、残念……。もう見えないや」
残念そうに肩を竦めて見せると、彼女は得意げに笑った。
「美羽はちゃんと見たもんね!! 凄いでしょう? 美羽が見つけたんだよ」
「うん、凄い凄い。ちゃんと、お願いした?」
「……お願い?」
その小さな頭に手を乗せ、軽く撫でながら聞くと、彼女はきょとんとして大きな瞳で僕を見上げた。
どうやら、流れ星のことは知っているが、それに願い事をかける云々は知らないらしい。
「流れ星にお願いをすると、本当になるの?」
キラキラと瞳を輝かせて、僕のズボンの裾を引いてくる彼女に、自然と微笑が零れる。
子供時代のこうした純粋で無垢なところを、皆が持ったまま成長できれば良いのに。
そう思うと、この小さな生き物がとてもいとおしく思えてくる。
僕は、そのいとおしい彼女に手を伸ばし、優しく抱き上げた。
とても、軽かった。
「そうだよ。流れ星に、3回続けてお願いをすると、その願いは叶うんだよ」
「本当!? あ〜あ、美羽もお願いすれば良かったなぁ……」
残念そうに呟いて、また星を探すために空を見上げた。
必死に空を見つめる彼女に、また笑みが零れた。
僕は、流れ星に願い事をすればそれが叶うなどという戯言は、信じてなどいない。
子供の頃、それを信じていたかどうかも、覚えていない。
そもそも流れ星に願い事をかけると叶うという話は、天に棲む神々が、地上を覗くために開けた窓から零れた光が流れ星で、
その窓が開いている間ならば、彼らに願いが通じるだろうと思われていたからだそうだ。
神様。
その時点で、すでに信じることなどできない。
そんな総てを超越した存在がいるとするなら、恐らく僕ら人間など既にこの世から消滅させられているに違いない。
僕らのしていることといえば、人間以外の生物に害を与える愚かしい行為だけだ。
現に、こうして見上げる夜空も、既に『夜空』と表現できるかどうかも怪しい。
夜と謳っておきながら、下界では燦々と人工灯が輝き、美しい漆黒の空を脅かす。
人は空を見上げることもなくなり、喚くブラウン管を見つめ、轟くスピーカーに耳を預けている。
嘆かわしいことだ。
そして、そんなくだらないことを常時考え続けている真っ黒な心の僕も、嘆かわしい存在だと思う。
自分の生活を棚に上げ、そうして他人だけを恨んで生きる、寂しい生き物なのだから。
腕の中にある、体温の高い生き物を見つめる。
流れ星を探す。
そんなことで懸命になれる彼女が、羨ましい。
僕にも果たして、このような純粋一途な時があったのだろうか。
あったとすれば、その頃に帰りたい。
できることなら彼女のように、真っ直ぐな心で生きて生きたい。
それは決して、不可能なことだろうけど。
僕の視線に気付いてか、空を見上げていた彼女が、不意にこちらを向いた。
「お兄ちゃん、流れ星見つからないね」
「ああ、そうだね……」
名残惜しそうにまた空を見る彼女と一緒に、僕も空を見上げた。
下界の光に吸収されているかのように、淡い光を放つ儚い星星が、そこにはあった。
「美羽は、どんなことをお願いしたかったの?」
そんなに懸命に願掛けをするほど叶えたい願いとは、一体何なのだろうか。
ふと思い、そう問うと、
「ずっと、お兄ちゃんと一緒にいられますようにって!!」
少しだけ恥ずかしそうに、それ以上に嬉しそうに、彼女は笑った。
胸が、温かくなるのを感じた。
それだからこそ、僕は願わずにはいられなかった。
どうか君だけは。
どうか君だけでも、その真っ白な心を忘れずに生きてくれることを。
「あ、流れ星!!」
遙か天空を流れる光を差して、小さな妹が言った。
(2006.7.23 桜葉吉野)
初出:超短編小説会ショートショート投稿